自分を卑下しない強さ

フットボールサミット第8回 本田圭佑という哲学  世界のHONDAになる日

最近ACミラン入りした本田選手の一挙手一投足に注目が集まっているのだけど、あまりサッカーは見ない私もこの人の強さやプロフェッショナリズムはとても勉強になるし本物だと感じている。彼は決して自分を卑下することは言わないし弱音をはかない。棘のある言い方をすれば「ビッグマウス」となってしまうのだが、この人は有言実行するためにストイックに努力が出来る人だ。

 

その強さはどこから生まれるのか?

本田選手が2010年のW杯の後にインタビューでこんなことを言っていた。

言葉を口で発するときは、自分に向かって話している部分がある。何を言うかって非常に重要。俺はメディアにしゃべっていることって、自分に話しているということがほとんどやから。あとは公言的なところがあって、「言っちゃったよ」みたいな。自分は弱いからさ。当たり前だけど、人間やから

この言葉の通り、自分に対する言葉は重要であるという理解をしている。言葉を発することで自分を鼓舞し、追い込み、達成へ向けての努力につなげ、自分を成長させるという最強のサイクルを本田選手は知っている。そしてその強さや成長が自信となって更にそのサイクルを加速させているようにも映る。発する目標が高ければ高いほど努力しなければいけないことは増えるのだから言うこと自体、大変勇気がいることなのだけれど。


また以前の記事でも紹介したのだけど、松井秀喜さんの著書「不動心」にこんな言葉があった。

僕は決して気持ちの切り替えがうまい方だと思いません。
しかし、ルールを1つ決めています。

それは安易に口を出さないことです。
不思議なもので、言葉として口に出すと、気持ちがエスカレートしてしまう気がするのです。

たとえば、「あのカーブに手を出すんじゃなかった」という思いを口にしてしまうと、もうその思いから離れられなくなってしまいます。

 

一見するとこちらは後ろ向きに聞こえてしまうのだが、実は先ほどの本田選手の言葉と同じことを表している。それは、二人とも共通して自分に発する言葉を気をつけているということだ。そして一番の気付きは、

 

自分に対して発する言葉は、自分の意識や思考を変化させて、行動を激変させる破壊力がある。

ということだ。

イチロー選手やダルビッシュ投手にしても皆一流と呼ばれる人はほとんど自分に対して卑下する言葉を発しない。ポジティブだし、あまり余計なことを言わない。これはプロフェッショナリズムの一つなのだと思う。 そしてアスリートに限った話でもない。

 

例えば学生の頃を振返ってみてどうだろうか、
いつも成績が優秀な生徒は「昨日、寝ちゃってあまり勉強できていないんだよね」や、「数学は前から苦手な科目なんだよね」というような自分を卑下する言葉を使っていただろうか。思い出せないのだけれど謙遜はしていたが、決して卑下していなかったように思う。

 

またこの考え方は仕事においても同様である。普段、難易度が高めの仕事を任された時に、「●●だけど、頑張ります」という言葉を使って、確実に実行するという約束から逃げていないだろうか。

 

異動の着任後の挨拶などでよく聞く決まり文句、
「右も左もわかりませんが、一日も早く皆様のお役に立てるように頑張ります」

この言葉はもちろん形式的コミュニケーションの一つで、定番のように使われているのだけど、自分はまだ来たばかりで何も出来ないから期待しないでね、という甘えのようにも解釈できてしまう。

 

自分を卑下する言葉や言い訳は、結果に対して不安な自分自身の心の安定剤のような働きをするのかもしれないが、決してそれは自分の成長には結びつかないことを認識しておかなければいけない。そして自分への言葉は自分を成長させることが出来るという自己理解も必要なのだ。 

 

ファンサービスで叩かれているが、本田選手のプロフェッショナリズムを応援したい。